インドでボランティア マザーテレサ ガリガード 1日目
マザーハウスボランティアの朝は早い。
6時に起きマザーハウスに行くための準備を始める。
6時半にホテルを出発し、マザーハウスへ向かう。ホテルからは歩いて20分ほど。
インドの朝も早い。この時間からすでに活気がある。
7時にマザーハウスに集合し、パンとチャイとバナナの朝ご飯が振舞われる。
そこでは各国から来たボランティアのメンバーが集まり、共に朝ご飯を食べながら談笑する。中には日本人の人も何人かいて、前日に説明をしてくれた世界一周中の彼もそこにいた。
7時半シスターが来て集合し、歌を歌う。
“We have our hope in Jesus
That all things will be well
In the road “
何の歌なのかはわからないがおそらくカトリック系の歌だろう。今でも口ずさむほどほどいい歌だった。
また本日最終日を迎える人の感謝の歌を歌う。そのあとシスターからの連絡を済ませ、チームごとに分かれる。
今日のメンバーはアルゼンチン人のベテランの男性、スペイン人の女性、カナダ人の女性、そして世界一周中の日本人男性。
ガリガード 死を待つ人の家 まではローカルバスでおそよ30分。 9ルピー(15円くらい)で行くことができる。
インドのバスは想像以上に過酷なものだ。
ドアがないので行き先を告げると、乗れ!って感じで、バスに乗り込む。
中はすし詰め状態で、暑い。さらには運転がめちゃくちゃ荒く、急ブレーキを多用する為、何かに掴まっていなければ吹っ飛んでしまう。初めてこのバスに乗った時は、日本のバスの感覚で何も掴まらずにいたら吹っ飛ばされてしまった。
インドのローカルバスには運転手とドア前でお金を受け取る人がいて、乗客を見つけると運転手に合図をして、バスを止め、乗り込んだことを確認して合図をしてバスを走らせる。2人のコンビネーションはばっちりだ。
満員バスに耐え、最寄りのバス停で降りる。
歩いて5分ほどでガリガードに到着。
中に入ると入り口で名前書き、二階に荷物を置く、一階に降りてきて、エプロンをつけてから仕事がスタートする。
下に降りるとすでに仕事を始めている2人の日本人女性がいた。聞くところによると慶応大の同い年で、ボランティアツアーのようなもので来ているのだと言う。彼女らも今日が初日で、3日間ここでボランティアをするという。
主な流れはこうだ。
8:00-
洗濯物を濯ぎ、テラスに持って行って干す。
これは施設にいる人全員分やるので結構時間がかかる。
9:00-
9時以降は臨機応変に対応する。特に何をやれというわけではない。私は水場に溜まった洗い物をやったり、水を配ったり、ベッドから起き上がれない寝たきりの人のマッサージをしてあげたりした。
10:30-
ボランティアメンバーは15分間の休憩に入る。
11:00-
昼飯の準備を始め、配膳をし、全員が揃ってからアーメンをして食べ始める。
その時僕らは水を渡したり、おかわりする人の配膳などしていた。
11:30-
食べ終わった人から隣の部屋のベッド室に連れて行く。
食べ終わった人の食器を洗ったり、床や机の掃除をする。
全部終われば終了!
帰りも同じようにバスに乗って帰る。
ガリカード 死を待つ人の家、では怪我をした老人や身寄りのない老人、認知症などのケアをするところだ。老人ホームとあまり変わらないように思えた。ただ怪我の度合いは大きい。
1日目感じたのは、死を待つ人の家 という割には死を間近に迫っている人はほとんどいないが、人々自体に元気はない。9時頃にはみな机に向かいただ座っているだけ。その間に流れている音楽がなんとも切ない気がした。
11時頃アーメンをして昼飯になるのだか、老人の割によく食うなと思った。
昼飯後は片付けをしたら自分らの仕事は終わりで帰ることになるのだが、その時中の人はたちはベッドで寝る。
おそらくここにいる人たちのルーティンは朝起きてぼーっとして飯食って、昼寝して、起きて、飯食って、寝て それの繰り返しなんだろうなと思った。
彼らにとっては衣食住あれば十分なのだろうか。あそこは病院でもないから元気になって外に出るなんてことはないのだろう。入ればあそこで最期を迎える。
帰るとき、外に出たら新しい人が運ばれてくるところだった。衣服は汚れ、ガリガリに細くなった人だった。日々こうして生活できなくなった人が運ばれてくるのであろう。
怪我人や寝たきりの人、認知症患者、などがいたが、大体の人は僕の両親と近い歳の人だろう。普段は絶対思わないが、両親を大切にしないといけないと心から思った。
帰りのバスも来た人と帰るのだか、心なしか会話が少ない。やはりそれほどみんなが感じたショックは大きいのだろうと悟った。
健康に感謝。