インドでボランティア マザーテレサ ガリガード 2日目
2日目
昨日と同様の流れで進んでいく。
しかしこの日は3日間のうちで一番濃い日だった。
この日は日曜日なので10時から1時間近くミサが中で行われた。そこではシスターやカトリック信者の患者が集まり祈りを捧げる。僕も入り口付近で立って見ていた。
その時、患者の1人である知的障害の男性がフラフラ歩いて来て、祈り中の人々の輪に突入しようとしていた。入り口付近にいた僕はそれを止めようと身体を掴み、部屋に戻れというように指示したが、その瞬間彼は僕を突き飛ばした。それを目撃したベテランボランティアはすかさずに彼を止め、お菓子を餌にして部屋に戻していった。予想外のことに僕は驚いた。
祈りが終わり、昨日通りの流れになった。
昨日より冷静に周りの状況を理解して行動できるようになっていた。よく見てみると怪我の度合いも様々だし、知的レベルも様々だ。
頭の皮膚が剥がれ、河童のような頭になっている人
鼻が根こそぎ失い、コンセントのようになっている人
足がなく手で這いつくばる人
寝たきりの人
チャイとタバコを求める認知症の老人
知的障害の人
様々な人がいて、とてもショッキングな光景だ。分かりやすく表現するなら、グロテスクだ。僕は普段グロテスクな映画は見る方だし、免疫はあると思っていたが、実際はとてもショックな光景だった。
ここで起きているのは映画の世界ではない。
インドのリアルだ。
途中、ガリカードのおばあちゃんが亡くなったので運ぶのを手伝ってほしいということで、白い布で包まれて、保管庫に運ぶ手伝いをした。明日燃やされるのだという。
ここで最期を迎えてどう思ったのだろう。
路上生活の方が幸せだったのか、それとも残り少ない時間を人間らしい生活ができて満足だったのだろうか。
その後、突然入り口から鼻が取れるかと思うくらいの異臭がしてきた。目をやると、新しく来たと思われる2人の男性がいた。どちらともひどく衰退しており、1人は泥まみれの包帯を巻いておりうなされていた。彼のシャツを脱がせてやれということで臭いに我慢しながら脱がせてあげた。その時胸ポケットから小銭が落ちた。20ルピーにも満たない額だったが、おそらくそれが彼の全財産であろう。
ベテランらしいボランティアの男が裸にさせて身体を洗う。その時に頭をカミソリで坊主にしていく。
包帯を取ると右足の内側くるぶしの少し上から膝下まで皮膚が剥ぎ取られ肉が剥き出しになっていた。なんとも痛いしい姿に言葉を失った。
帰り道、濃すぎた1日を振り返りながら死について考えた。人はいずれは死ぬ。だけど最期をどこで、どう過ごすかが重要だ。残念ながらインドは苦しみながら最期を迎える方が多いだろう。これはインドに限ったことではない。
世界の多くの人は貧困、環境、身分、によって生活が制限され、その多くは恵まれずに人生を終える。
日本は生活保護などの働かない人を支援する制度がある。道で人が倒れていたら救急車を呼んでくれるだろう。お腹が空いてれば食べ物を分けてくれる人がいるだろう。
日本という恵まれた環境に感謝し精一杯生きる。それが僕らがしなければいけない人生の過ごし方だ。