自己満足の旅

自分の経験を忘れないうちに書き留めます。

いざ頂上へ キリマンジャロ登頂記録5日目

時刻は23時

ポーターに起こされ目を覚ます。

無事に仮眠が取れたようだ。

 

ドーナツのような物と暖かい飲み物を飲んで出発の準備をする。

ちなみにこれはこれまで愛飲してきたキリマンジャロティー

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その他にもココアやコーヒーの粉があるから暖かい飲み物には困らなかった。

 

24時頃いよいよ頂上に向けて出発

寒さ対策として、

上がユニクロの極暖下着、トレーナー、レンタルしたモコモコのジャケット、レンタルした厚手のジャケット。手袋は薄めの手袋と厚手の手袋二重にした。

下半身はこちらもユニクロの極暖の股引、レンタルした厚手のパンツ、レンタルしたレインコートを着て、靴下は二重にしていた。

 

真っ暗な中ヘッドライトを頼りに進んでいく。

どうやら僕らのペースは早いみたいで、先に出発していたグループを追い抜き振り向いた時にはだいぶ遠くにいた。

登り始めは動いた分身体があったまって着ている服は余計だと思ったが、だんだん風も強まり寒くなってきた。

まだ我慢できる寒さだったし、身体の調子も少し疲れてるくらいで全然行けるなと思っていた。

 

登り始めて2時間ほどが過ぎ、

登っている壁がでかすぎて頂上なんて見えないじゃないか!と苛立ったと同時に頭痛吐き気がしてきた。

頭痛は登るにつれ強くなる。

吐き気は登る前に飲んだ飲み物が胸付近まで来ている感覚だった。

そしてだんだん自分が自分でないような感覚になった。

歩いてもフラフラで力が入らない。

この時から自分の腕時計を見るのも億劫で見てないので時間がわからない。

さらには持ってきていた大事な水筒の蓋が凍り始めて開けられなくなった。ガイドのマイクに開けてもらったがその水も少し凍っていて冷たくてあまり飲めない。

マイクにバックパックを背負ってもらい自分は歩くことに専念する。

そこからはとにかく無心で歩いた。

早朝4時頃 ステラポイントに到着

一番乗りだった。

この先の本当の頂上ウルフピークまではここから1時間半ほどさらに歩くのだ。

たいだい50%くらいがその辛さゆえにリタイアする。

ここでも一応登頂証明書はもらえるが、もちろんここで終わりにするつもりはない。

 

長めの休憩を取りウルフピークへ向かう。

もうステッキが無ければ歩けないくらいまで足腰に力が入らない。

後1時間半道はほぼ平坦だからきつくないから頑張れとマイクに言われたが、歩くのすらきつい自分に下り坂だろうが上り坂だろうが関係なかった。ただひたすら自分はやれると言い聞かせて歩いた。

 

朝日が少しずつ昇り始めてきた頃、50m先くらいに頂上を示すウルフピークの看板が見えてきた。朝日が昇ってきたとはいえまだ真っ暗。

真っ暗の中ドンと構えて立っている看板は星空を背に圧倒的な存在感を出していた。

それを見た途端なぜか涙が出できた。というより泣いたに近い。

景色に感動して泣いたのか、達成感からきたものなのか、それとも頭がいかれてしまったのか自分でもよくわからない。

とにかく泣きながら歩いていた。

 

時刻は6時前ついにウルフピークに到着

標高は5895m

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自分の身体は限界にちかかった。

 

せっかく登ってきたが、景色を楽しむ余裕はなくウルフピークの看板の横に座り込んでしまった。

その頃同じ日程で頑張ってきた日本人も到着した。彼も辛そうだったが、自分よりかは余裕がありそうな感じがした。

 

写真を撮らなきゃと思いジャケットの中にしまい込んでたスマホを取ろうとと思ったが、それすらもできない。

寝ている時、なかなか欲しいものが取り出せないもどかしい夢をよく見るのだがそんな感じだった。

仕方がないので日本人の彼からスマホで自分の写真を撮ってもらったのが上の写真。。

 

日の出を待ちたかったが、頭痛は強くなるし、寒さもとんでもなかった。

マイクの判断でなるべく早く高度を下げないと身体に危険だということで来た道を戻った。

 

戻る途中やっとの思いで取り出したスマホを起動させて景色を撮った。

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その瞬間電源が切れた。

自分のスマホで唯一撮った一枚。

白いのは氷河だ。

 

とにかく来た道を戻る。マイクの早歩きには全くついていけなかった。

来る時は暗くて気が付かなかったが、砂利道だった。

下りの砂利道は足腰に力の入らないフラフラの自分にとっては最悪だった。

頂上にいる時より今の時の方がつらい。

何度も尻もちをつきながら下っているとマイクが自分の腕を取ってサポートしてくれた。

彼はプロフェッショナルだ。

 

自分にはもう何をする力もなかった。

ただひたすらマイクに腕を引かれ下っていくだけだった。

こんな自分は生まれて初めてだ。

 

下り始めて2時間ほどしてバラフキャンプに帰ってきた。色んなポーターにおめでとうと言われた。

自分のテントに着くと、汗だくの服を着替えることもなくそのまま眠ってしまった。

 

目が覚めると朝食が用意されていた。頭痛に加えだるさも出てきて食欲はなく、果物だけ食べてまた眠った。

 

しばらくしてマイクがテントに来て降りたらもっと楽になるから行こうということで出発した。

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ちょっと行くと山が見えてきた。

キリマンジャロで2番目に高いところらしいが、道のりが険しく登れないらしい。

 

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さらに歩くと台車が何個も置いてあるエリアに出た。これは体調悪くなった人を運ぶためのタンカのようなものらしい。ポーターたちがこれで運んでくれるらしいが彼らの荷物も沢山あるからどう運ぶのか気になった。

 

これは後から聞いた話だが、この辺には枯葉がもっこりした所が何個かあって、それはこの辺で亡くなった人たちの墓のようなものらしい。

高山病で命を落とすこともあるらしい。

 

下り始めて3時間

ムエンカキャンプに到着

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途中ひたすら岩を下る道にイライラしたが頑張った。

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ラストでこんな道が永遠に続くので思わずしつこい!と怒鳴ってしまった。

下りは登っている時と違って目標がなくからモチベーション維持が難しいなと思った。

 

標高は3100m

頭痛は完全に治った。

少しテントで休憩してオーストリア人と日本人に久しぶりに再会。

互いを祝福し、ついさっきまでの地獄のような経験の思い出話をした。

 

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なぜかヘリコプター上陸スポットに僕のテントが置いてあることにオーストリア人は爆笑していた。

 

夕方マイクが来てチップの話になった。300ドルを払って欲しいと言われてた。これが最低ラインだという。

日本人の方も300ドルで話が付いていた。

自分は多くても250ドルが妥当だと思ったが、こんな良くしてもらった人に値下げ交渉するのはなんだか申し訳ないないなと思ってまた明日にでも交渉しようと思った。

 

トイレに行くと久しぶりにドッポントイレに集るハエたちを見つけた。

生き物が住める環境に戻ってきたんだと実感した。

 

24時に登り始めて今いるキャンプ場に着いたのが昼の2時過ぎ。

ひたすら歩いた1日だった。

ほんとにいい経験ができた。

今までの人生で一番美しい光景だったし、この先もこれを越す光景を見れるとは思えない。

地獄のような時を耐え、登ってこれた健康な身体とこの身体に育ててくれた親に感謝したいと思った日だった。